善良な人々を救えない預言者こそ、地獄に堕ちる。

 私は、カルマの存在とその恐ろしさはかなり信じる。
 私は、日常生活では絶対に人に迷惑を及ぼす行動は起こさないし、誰にも怒らない。更に可能な限り悪念は抱かないようにしている。家族に病気や怪我が発生することまでは、この行動・思念のコントロールで抑制できないが、最低限自分の身の安全、健康、周りからの信用を良い状態に保つことには成功している。このような私だからこそ、少しでも悪に染まった言動を起こせばすぐに業障(カルマ)に見舞われる。カルマの存在は、人間は決してこの世で自分たちの好き勝手に生きているのではなく、もっと次元の高い意識によって生かされ、コントロールされているということの科学的な証明だと考えている。
 だから言うが、人道的に良い「行い」とは、人の見ていない所で善行を積めるということ。これが私の最も信じる道徳的信条である。逆に言えば、隠れて悪事を働くことは最低の悪行である。同様に、ネットという環境で名前を伏せた上で傲慢な発言をして、自分を強く見せることも然りである。
 ブログや出版物を用いて、自分は高次元の意識とコンタクトできると騙り、実は自分勝手な考えで預言したり、自分の言うことを信じて実行しなければ災害に巻き込まれるなどという考えを主張している「ニセ預言者」も、わざと多くの人の目に触れる場所に立って、根拠の無い嘘を信じ込ませて楽しんでいるに過ぎない。
 本当の預言者や救世主の素質のある人間ならば、人々に不安や恐怖を与えずに、平等に幸せになるための最も簡単な方法を導き、それが嘘でないことを担保するはずだ。それができるニセ預言者は今のところ一人もいない。だからニセ預言者としか呼べないのだ。
 20世紀末に世界が滅亡すると言われ、ある民放テレビ局が終末預言特集をやっていた。この時に織田無道という、当時有名な僧侶が登場し、「最後の日に、あなたはどうしますか」という質問を受けて「私は逃げますね。安全なところに。それはもう決めてあります。」と答えていた。
 織田無道という人物については検索して調べると、あちこちで仏の道を外れた行動をしていることが分かるが、一般に聖職者でその道を故意に逸脱するような行いをすると、そのカルマは激増すると言われている。
 私の言う「ニセ預言者」の部類に入る奴には、今後もし大災害が発生しても生き残れる方法を発見していようとも、それを自分だけの秘密にしてか、公言しない者もいる。こういった奴のカルマは聖職者同様、極めて苦痛度の高いものになりそうだ。